吉村泰典
東京岐阜県人会長 ・ 慶應義塾大学名誉

vs

宮田裕章
慶應義塾大学 医学部 教授

その視線の向こうにあるのは、全く新しい社会の姿だった。
大都市化というトレンドを超える地域のネットワーク。
岐阜はその軸となるかもしれない。

自然から多くを学んだ幼い頃のふるさと岐阜

吉村:先生はどちらのお生まれなんですか。私は岐阜市内で、木之本小学校、本荘中学校、岐阜高校と通いました。

宮田:私も岐阜市で生まれました。父の仕事の関係で、幼少期は海外に行ったりしていたんですが、小学校1年から3年まで岐阜市に戻って住んでいました。

吉村:そうだったんですね。

宮田:小学校まで、友だちと一緒に畦道を通っていました。その時、用水路に葉っぱを浮かべて競争しながら行った。自然の中でいろんなことを学んだ、ほんとに素敵な3年間でした。

吉村:ちょっと、イメージが……(笑い)。

宮田:そのあと東京に引っ越すんですが、実家は今もありますので、毎年岐阜に帰っています。今年の夏も岐阜で過ごしました。

吉村:ということは、岐阜が合っている? 岐阜が好き? いや、この雑誌の読者のみなさん、〝岐阜愛〟がすごいんですよ。

宮田:もちろんです。飛騨に新しい大学を創るということを発表して以来、私が岐阜出身だということは、よく知られるようになりました。それでも、一択で「東京身ですか」と聞かれることが多い。格好がちょっと尖っているからか、都会の冷たい風を吹かす人間なんじゃないかと思われがちなんですね。ふるさと岐阜に貢献したいという気持ちは、強く持っています。

吉村:嬉しいですね。

宮田:先日、ある出版社からどこかを訪問して記事にしたいという企画を提案され、「ぎふメディアコスモス」を紹介したところだったんですよ。

吉村:そうでしたか。あれは、同級生だった細江(元岐阜市長)というのが、心血注いで造ったものなんです。

宮田:最高ですよ。本当に素晴らしい。伊東豊雄さん(建築家)の最高傑作だと思う。あれができた時、正月にわざわざ岐阜に帰りました。

吉村:細江が自慢して、僕に言ったんです。「俺がこれを造ったんだ」と。市民からはすごく反対された。「こんなのに金を使って、何の意味があるんだ」と。先生、どこが良かったですか。

宮田:伊東豊雄さんの建築というのは、建築そのものじゃなくて、そのエリア全体をどうつなぐか、そういう発想なんですよね。メディアコスモスは、内的な空間が無限に広がっているようで、入っていくと、そこに森のような宇宙のような空間があるんです。

吉村:ありますね。

宮田:館長の英断でもあるんですが、天井が高いので、普通の図書館だと「シーッ」となるような子供の声も大丈夫なんです。

吉村:そうですよね。

宮田:天井の高さと、木々が柔らかく吸収するようなあの空間によって、森の中のそよ風のように、子供たちの喋り声が心地いいんです。子供たちも森の中にいて、みんながそこに集まってくるような、そういう美しい建築でもあります。

吉村:細江は、市長を退任して1年ぐらいで死んじゃったんですが、いまの話を聞いたら喜んだでしょうね。いま、天国で喜んでいるかもしれない。僕は文句ばっかり言っていたんですが、本当に失礼しました。

宮田:いやいや。

データサイエンティストとしてめざす世界

吉村:ところで、先生のご専門はデータサイエンスということなのですが、どんなことをされているんですか?

宮田:現在、慶應義塾大学の医学部にいますが、医師ではありません。科学的なアプローチの中で、より良い社会に貢献したいというのが私自身の一貫した思いで、その部分で専門にしたのがデジタルデータでした。

吉村:なるほど。

宮田:社会を大きく動かす領域というのは、その時々の時代を創る学問と共に動いています。かつての宇宙開発がそうですね。これからは、医学がすごく大事になる学問だろうと。お金だけではない新しい価値、これからはデータによって可視化された時代が来るんだというのが、私の考えだったんです。当時、経済学分野でその話をしても、一体何を言っているんだと……。

吉村:それが、医学は違った。

宮田:そうです。その時、一番話が通じたのが医学でした。当時ならクオリティ・オブ・ライフ、いまならウェルビイング。そういうものが可視化されていた。最初は外科領域と一緒に仕事をし、リスク調整死亡率といったものを可視化した。そのうえで、お金は手段だと。目的はもっと違う。患者さんを、あるいはより良い生き方を支える。医学では、これをもう実現しようとしていたんです。

吉村:デジタルサイエンスを具現化するには、医学が一番と。

宮田:医学に貢献する中で、自分自身のビジョンもまた磨かれていく。ビジョンだけでは世界は動かない。実践の中でと考えた時に、医学に関わらせていただくのが一番いいという結論になりました。

吉村:先生はデータサイエンスに興味を持ち、それから医学に入ってこられたんですが、いまのご活躍を見ていると、全く医学にとどまってないですよね。

宮田:医学はもちろん大事な分野です。ただ、人と人、人と世界をどうつないでいくかと考えた時、新しい地域をつくることが非常に重要なテーマになった。地域から世界、社会の未来をつくっていく。そこに新しい文化、芸術、あるいはビジネスモデルが生まれる。そういう意味で、東京岐阜県人会のつながりというのはとても大切なコミュニティーだと思うし、一緒に未来をつくっていければと思います。

吉村:僕たちはメディカルサイエンティストですが、医学を志していると、患者さんを前にした時、なかなか先生のような発想の広がりを持てません。

慶應義塾大学・福澤イズムがバックボーンに

宮田:大学を出た直後は、どちらかというと理論に寄っていました。いろいろな人たちと議論をする中でも、こうすれば世界は変わって良くなると自分自身の世界観に基づく仮説を展開していた。しかし、それを現実の世界で実現していくとなると、実践が伴わないといけない。医学の分野をベースにしながら、例えば人と人、人と社会を考えた時に、脳であり、心であり、体であるということから離れることはできないんです。

吉村:なるほど。

宮田:人を軸にという意味での医学が一つ。もう一つはいま、くしくも吉村先生がおっしゃった、医療者の方々が目の前の患者さんに向き合う時の誠実さや情熱に、本当に心を打たれた。患者さんのために医療をするんだと、現場の方々はそれを心から信じてやっている。その人たちを支えるためのデータサイエンス。これが一番社会にとっても重要なんだろうと思うんです。

吉村:先生のお話をお聞きしていると、Human Co-Being(ヒューマンコビイング)という考え方がすごく出ている。その辺が先生の研究の幅の広がりにつながっていったのかな、と。

宮田:おっしゃる通りです。そういう意味では、私のキャリアの中で、本当に大切な出会いがいくつかあるんです。一つは臨床の先生方の、本当に患者さんのためにという情熱に触れたこと。もう一つは慶應義塾大学なんです。私の師匠の一人で、いま国際文化会館の理事長をされている近藤ジェームスさんが、東大出身の私に慶應イズムを叩き込んでくれた。

吉村:と言うと……。

宮田:例えば、「あるところまでは1人で奮闘して100人力ぐらいまではいけるかもしれないが、慶應は違う。周りをリスペクトしながら一緒にチームワークで働く。あるところ以上になると、1人で100人力ではなく、100人で1万人力、あるいは10万人力という世界に入っていく。チームワークをつくれない人は、一定以上のことは成し得ない。そっちのほうがよくないか」とおっしゃった。

吉村:慶應出身の僕たちは、それを「社中」と言っています。いや、嬉しい。

奇抜なファッションはコミュニケーションツール

吉村:先生のお話をお聞きする際には、どうしてもファッションのことに触れたくなります。僕から見てもカッコイイけど、正直、奇抜だとは思います。

宮田:ファッションについてよく言われる批判に、自分のためだけで、周囲に不協和音を生じさせること、即ち不快にさせることも厭わない人がいる、というものがあります。

吉村:先生がおっしゃっている、個として社会とどう向き合うかということですね。

宮田:そういうことです。人は纏うことから逃れられない。誰が、どういう文脈で、どの場に立つにしても、纏うものというのは、やっぱり意味を持ってしまう。スティーブ・ジョブズみたいに、いつも同じ格好をしていたとしても、やはり意味を持つ。であれば、纏うということを、ひとつの文脈の中でどう当てていくのか、それを大事にしたいと考えたのです。

吉村:そういう思いは、小さい頃からですか。

宮田:自分はこういうスタイルで生きていこうというビジョンは高校、大学の初期の頃には持っていましたが、ファッションそのものに対する興味は小さい頃からありました。と言うのは、祖母が呉服屋をやっていたので、奇抜なんですね。周りに悪く言う人もいるが、それはそれで面白い。ファッションにこだわること自体が、自分の中では特別なことではないんです。

吉村:そうだったんですね。

宮田:ただ、いろいろな文脈の中で、自分をどう社会に置くかというバランス自体は、時期によって変わっています。慶應・医学部の教授戦の時、私は長髪でした。変わってはいるけど、今ほど奇抜ではなかった。いまは、ちょっとイノベーション寄りと自分で言うのもなんですが、少しこう尖ったほうに寄せていて、それが自分自身ではある種、社会に向き合う時の一つの道具になっている。

吉村:なるほど。柔軟に流れを汲み取って、新しいものを見つけ出していくためには、このファッションが必要であると。

宮田:必要かどうかはわかりませんが、私にとっては一つのコミュニケーションツールです。

「新しい文明をつくる」の言葉に心動かされ

吉村:もう一つ、岐阜県人としては、どうしてもお聞きしておかなければいけないことがあります。前に少しお話に出ましたが、飛騨に新しくつくられる大学「Co-Innovation University」(コイノベーションユニバーシティー。略称「コアイユー」。2024年、開学予定)についてです。先生は学長候補になっておられるということですが、その大学設立基金代表理事が若干33歳という井上博成さん。いまや日本のお荷物になってしまった山林に、彼は資本を見出す。

宮田:そうですね。

吉村:あの発想はすごい。僕には、とてもじゃないけど思いつかない。先生と井上さんとの出会いから、大学のことを語っていただけますか。

宮田:私自身は岐阜の出身であることをずっと誇りに生きてきたんですが、家族、親族と何か仕事をするということは一切ありませんでした。それが突然、父から電話があって、「素晴らしい若者がいるから、ぜひ会ってくれ」と言ってきたんです。私の仕事に何かを言うのは、それが初めてのことでした。

吉村:それじゃあ、会わないわけにいかない。それが井上さんだったんですね。

宮田:はい。それで実際会ってみたら、井上くんはいまお話にあったように先見の明はあるし、志もある、素晴らしい若者だった。これは一緒にやろうと。

吉村:決断は速かった。

宮田:ある種、私の人生も賭けることになるので、いろいろ話し合いました。そこで、一緒にやるのもいいなと思ったのは、〝文明〟に対する彼の思いでした。文明なんて、後世の人が「これが文明でした」と言うだけのことで、意識的につくられたことはないはずだと、私は本に書いています。しかし、そろそろデジタルのつながりの中で、どういう社会をデザインし、どういう文明をつくっていくべきか考える、チャレンジする時なのではないか、とも。大都市化という一連のトレンドに対抗するような、地域をネットワークしながら社会をつくっていく。新しい大学が、その核として機能するとすごくいいなと話したんです。すると、彼がそこにすごく共鳴してくれて……。

吉村:それは素晴らしい。

宮田:それで、彼が「みなさん、一緒に文明をつくりましょう」と。文明なんて恥ずかしい言葉で、私もちょっとテンションが上がった時、ごく近い人にしか言わない言葉です。本にも控えめに書いただけですが、一番高いテンションの言葉を他人から聞いた。これはなかなか素晴らしい。そしたら、一緒にやるしかないって。そこから、彼とのプロジェクトが始まったんです。

飛騨を軸にした新しいビジネスの創造

吉村:この岐阜の良さを、彼のような若者が気づいてくれて、岐阜のお荷物だったような山地や山林に、新たな価値を見出してくれた。基本は自然との調和だと言う。彼は、本当に素晴らしいと思いますね。新大学が岐阜に与えるインパクトを、どう考えておられますか。

宮田:コアイユーという大学では、まず飛騨というエリアを軸にしながら、新しいビジネスのつながりをつくる。それは開校までに取り組むんですが、その後は単に飛騨だけではなく、岐阜だけではなく、いろいろな地域と新しいつながりをつくっていくつもりです。

吉村:十いくつかの場所、他の県とつながっている。

宮田:例えば、さっきお話のあった木材一つとっても、ご指摘の通り、日本の森林面積はこの50年間変わっていない。しかし、活用可能な森林資源は3倍になっている。なぜかというと、使えていない。お荷物だった。あるいは、誰も可能性を見出せていなかった。

吉村:そうですね。

宮田:なぜかわかりませんが、原価は同じはずなのに、海外からCО2を使って輸入した木材の方が安い。不思議な産業体系になってしまったんです。それを変えられる可能性がある。例えば、ドローンを使えば、こことここを伐採しても、森に影響は出ないとAI解析できるわけです。そうやって、森を傷つけずに資源として活用していく。その時にどういうビジネスをつくるとかいうところが、新しい大学でやっていく部分です。地域が連携しながら、それぞれの強みを生かす

吉村:井上さんは、すでにいろいろな起業をしていて、自然資本経営などとおっしゃっている。そういうものを、大学でやっていかれるということでしょうか。

宮田:彼の専門の一つがエネルギー、特に木材バイオマスです。再生可能エネルギーにはいろいろありますが、日照時間を考えれば、太陽光だけでは厳しい。地熱や木材バイオマスは非常に重要で、木材工場の近くにまずそれを造れば、持続可能な産業が育てられる。ただ、彼自身が取り組んでいるのはワンノブゼム。数多くあるもののうちの一つで、例えば飛騨で森林木材を使ったビジネスを立ち上げ、それを南紀白浜とか高知といった森林面積が非常に広いところと連携しながら展開していく。一方、日本ではこれから、インバウンドが自動車産業を超える15兆円産業になると言われている。観光というと、飛騨より高山、あるいは高山よりも他のエリアの方が強かったりする。そこで、インバウンドを軸にした、新しいつながりをつくる。地域で連携をしながら、それぞれの強みを生かし、新しいコミュニティーをつくる。これがコアイユーの一つの特長です。

吉村:岐阜の、いやひとつの地域にとどまらない、新しい夢が広がりますね。本当に期待しています。

宮田:ありがとうございます。

吉村:東京岐阜県人会創立120周年記念にふさわしい、未来につながるお話。本当にありがとうございました。

宮田 裕章(みやた ひろあき)/慶應義塾大学教授
1978 年岐阜県岐阜市生まれ 慶應義塾大学 医学部教授
2003 年東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻
修士課程修了。同分野保健学博士(論文)
早稲田大学人間科学学術院助手、東京大学大学院医学系研究科
医療品質評価学講座助教を経て、2009 年4 月東京大学大学院
医学系研究科医療品質評価学講座 准教授、2014 年4 月同教授
(2015 年5 月より非常勤)、2015 年5 月より慶應義塾大学医学
部医療政策・管理学教室 教授、2020 年12 月より大阪大学医
学部 招へい教授
【社会的活動】
2025 日本国際博覧会テーマ事業プロデューサー
うめきた 2 期アドバイザー
厚生労働省 データヘルス改革推進本部アドバイザリーボードメンバー
新潟県 健康情報管理監
神奈川県 Value Co-Creation Officer
国際文化会館 理事
Co-Innovation University 学長候補
専門はデータサイエンス、科学方法論、Value Co-Creationデータサイエンスなどの科学を駆使して社会変革に挑戦し、現実をより良くするための貢献を軸に研究活動を行う。専門医制度と連携し 5000 病院が参加するNational Clinical Database、LINE と厚労省の新型コロナ全国調査など、医学領域以外も含む様々な実践に取り組む。それと同時に、世界経済フォーラムなどの様々なステークホルダーと連携して、新しい社会ビジョンを描く。宮田が共創する社会ビジョンの 1 つは、いのちを響き合わせて多様な社会を創り、その世界を共に体験する中で一人ひとりが輝くという“共鳴する社会”である。